ピンクの薬草です。
細身ですが濃いピンクの目立つ花です
それほど大きい花ではありませんがスラッとしていて20cmくらいの高さはあります。
単独で咲いているというよりは、ある範囲に群生している事が多い様です。
一つ一つの花はあまり大きくないのですが、穂のような感じで花が付くので全体としては
結構豪華です。
ベニバナイチヤクソウは紅花一薬草と書き、薬草として使われた様です。元々は一薬草と
言う薬草が一つでいろいろな効能があったからと言われます。ベニバナイチヤクソウも
利尿と脚気に効果があるとされます。
その姿も花の色や名前も趣がある花です。
笠の部分の桃色が目に優しく映ります
オドリコソウはシソ科の花としては大きな花です。一般にシソ科の花はシソの花のように
小さい花が集まっているような感じが多いのですが、この花は一つ一つの花が大きめなの
で花の数としては少ないのですが優しい桃色が映え、全体としては目立つ花です。
オドリコソウはカタカナで見ていると無味乾燥な感じを受けますが漢字で書いて見ると、
「踊り子草」となり優美で楽しい感じが伝わってきます。
ずいぶんしゃれた名前なので、最近つけられた名前かと思いましたが、思ったより前から
つけられていたようで、江戸時代の正徳二年(1712年)発行の「和漢三才図絵」に載って
いました。名前をつけた理由として「人、笠(かさ)を着て踊るに似たる」とあります。そ
の当時の踊りは笠をかぶって踊っていたのでしょう。そう言えば現代でも昔から続いてい
る佐渡おけさ、阿波踊りやおわら風の盆での踊りでは笠をかぶっているので踊りの感じは
何となく分かります。
笠をかぶって踊る姿ならこの花の名前に納得です。現代の植物専門家だったら絶対につけ
ない様な風流な名前であり、昔の人の命名センスの良さには感心してしまいます。
他の草に埋もれるような感じで咲いていました
植物の中でランの仲間とキクの仲間は最も進化した群だとよく言われます。
進化の意味はその使い方によりいろいろですが、植物の場合は機能的に優れると言う事も
あるのですが、他に系統の分化が新しい、仲間が多く種として繁栄している事を意味する
事もあるようです。同じ様に進化したランとキクですが、現状及び今後の行く末はランの
方が不利のようです。
環境の事もあるのですが、それより影響の大きいのは人間による盗掘で、今でも被害に合って
いて今後も心配の種はつきないと言われています。ランにとって想定外だったのは環境適応より
人間が敵に(一部の不心得者ですが)なったことでしょう。特に美しかったり変わったものは
被害が大きいようです。ただランの中には地味なものもあります。このアオチドリも目立たな
くて普通に歩いているだけだと多分見つからないと思います。それが幸いしてかランでは騒が
れていない部類に入ります。
アオチドリの多くはこの花のようにえび茶色なのですが、中には緑色の花があり、それを指して
アオを付けたと言われます。最初にたまたま見つけたのがアオだったのでしょうか? 綺麗、
地味に関わらず、見つけてもそのままにしてあげたいラン類です。
左がアリアケスミレで右がアケボノスミレです
アリアケスミレは平地から山の中腹まで見られます。アリアケは有明の空に因んで付けられた
と言いますが、有明は元々月がまだあってこれから夜明けになる時分を指したと言います。
なので特にどんな色という定義は無いようです。いずれにしても、夜明けあたりのイメージ
で紅色付近の色があると思います。アリアケスミレはその紅紫色の線状が目立ちます。
似た言葉に曙(あけぼの)があるのですが、これは色の様子も含むので曙色という色の名前
もあるそうです。清少納言が枕草子の冒頭に「春はあけぼの」という文を持って来たのは幻
想的な色が頭にあったのかもしれません。
実はスミレにアケボノスミレというものも存在します。アリアケスミレよりずっと紅が濃く、
よりピンクに近い色に感じます。枕草子の中ではスミレとツボスミレしか登場しないので、
清少納言はアケボノスミレもアリアケスミレも見ていないのだと思います。もし見ていたら必
ず枕草子に書いたと思いますが、どんな風に表現したのでしょうね?
関東管領が去った後の上野国を南の北条氏康、北の上杉政虎(後の謙信)、西の武田信玄が関東
管領が去った後の上野国を南の北条氏康、北の上杉政虎(後の謙信)、西の武田信玄が虎視耽耽と
狙っていた。このような中、物語の主人公となる両毛地区の新田金山の城主(由良氏)、足利の
城主(長尾氏)、館林の勢、小俣の城主(渋川氏)、佐野の城主(佐野氏)の五人の領主は誰の旗下
にも入らなかった。
北条氏や武田氏は武州、西上州まで進出したが両毛地区までは攻めて来ず、最初に動いたのが上杉政虎
で、三国峠を越えて上野国に入り前橋や武州松山を乗っ取った。この勢いで新田・桐生・館林を攻め
ようとしてまず北条方の那波、伊勢崎に押し寄せたが、皆逃げ散って誰もいなかった。
その後、新田などの攻めの沙汰はなくなり上杉軍は東上州の境界巡視のため佐野犬伏へ馬を進めたという。
※実際は那波城主の那波宗俊が上杉軍と戦い完敗している
写真は那波城址の碑、学校脇の田んぼの畦に寂しそうにポツン渡立っている。
ランはキクと共に植物の中で最も進化したものだと言われます。進化の意味には最も進んだ
と言う意味と最も繁栄したと言う意味があるそうです。キクの仲間はよく見られるのでそう
言う気もしますが、ランの仲間は自然の中で自生しているものはあまり見かけません。
進化した姿が人の目に美しかったり珍しい形だったりしたからか乱獲に会い、加えて環境変
化の影響もあり、激減して多くが絶滅危惧種になっています。オノエランは幸いに絶滅危惧
種にはなっていませんが、どこでも見られると言うわけではありません。オノエは尾上と書
き、山の上を指します。山の上の方に咲くからなのでしょう。これも実際に山頂で咲いてい
ました。
咲き始めはうつむいているので、白い花にしか見えませんが、花の中に黄色の模様がありま
す。日本の固有種と言われるので日本にしかない花です。大切にしてあげたいですね。
戦国期の軍記物語の中に地元(両毛地区)を対象とした『新田老談記』というものがある。
これは江戸中期に幕府の貧乏旗本となってしまった新田氏(由良氏)の末裔が“御先祖様は
すごかった”という事を誇示するために作成したもので、信ぴょう性には疑問があるが地元
領主たちがいかに戦国期を生き抜いたかを知る上で大変興味をそそるものとなっている。
ということで、領主たちが生きた現場を訪ね歩くこととした。
物語の冒頭、以前は関東八ヶ国は管領上杉憲政の支配で、皆仁義を守り目上を敬い良い時代
であったが、北条氏政が管領に背いたため憲政が越後に退かれ、今は皆思い思いの大名(北
条氏政、上杉謙信、武田信玄など)に奉公するようになった、と嘆く場面から始まっている。
写真は関東管領・上杉憲政が北条氏康に追われるまで拠点としていた平井城址。憲政以降は
放置されていたため今では痕跡は少なく、近年一部を公園に改修した際に再構築した土塁が
出迎えてくれた。
タツナミソウはシソ科の小さな花です。葉も小さいですが、シソ科らしい葉をしています。
タツナミソウは漢字で書くと「立浪草」となります。花が波のように見えるからだとか言わ
れていますが、「浪」は海より川に多く使われるそうなので、川のせせらぎで小さな石など
で砕けたときの浪のイメージが近いのでしょうか?
平地では春の花ですが、山では夏の花になります。トウゴクというのは東国で西日本に対し
ての東日本の…と言う表現です。西日本にはシソバタツナミと言うものがあるそうですが、
まだ見ていません。違いはわずかと言いますが、一度この目で違いを確認したいものです。