黄色い小さな花が集まって咲いているキク科の花です
アワコガネギクと言う名の黄色い小さな花が咲くキク科の山野草があります。
園芸用のキク、ヨメナやノコンギクの様な野に咲く菊よりも小さな花が数多く咲きます。この花に関して
気になっている事があります。この花の分布は日本の他に韓国や中国にも広がっていると言われます。そ
して、道路工事の法面に使われる外来種ヨモギに混じって外来種のアワコガネギクが存在していたのでそ
れが少しずつ広がっていると言う話を聞きます。このアワコガネギクは群馬県のあるところで見たもので
すが、国のデータによれば群馬には在来種も外来種も分布していない事になっています。
話は少しそれますが、テセウスの船と言う言葉があります。最近は同じタイトルでマンガにもテレビドラ
マにもなっているのでご存じの方も居られると思います。テセウスの船はテセウスがギリシャへ帰還した
時の船で公開途中で何度も修理したことから、すべての部品が新しくなっても昔と同じものとしてよいの
か?と言う哲学的問題になっています。
今植物(他の生物もそうですが)が環境によって遺伝子は変化することが分かっていると言います。この
アワコガネギクも日本の地域によって遺伝子は違っていたと言う研究結果があるそうです。
必然的に外国の同じ植物も遺伝子は違うのだと思います。遺伝子全部が違っているわけではありませんが、
同じ品種なのに同じとは言えない変な?分類定義がされているわけです。
さて、このアワコガネギクはどんなものなのでしょう?遺伝子検査をすればある程度分かるかもしれません
がいずれの地のものとも違っているかもしれません。
植物の分類はこう言う状態で正確に出来るのでしょうか?または遺伝子の細かいところは気にしなくても、
なのでしょうか?そうすれば遺伝子違いの外来種は気にしなくてよい事にはなりますが…。
細身ですが濃いピンクの目立つ花です
それほど大きい花ではありませんがスラッとしていて20cmくらいの高さはあります。単独で咲いている
というよりは、ある範囲に群生している事が多い様です。
一つ一つの花はあまり大きくないのですが、穂のような感じで花が付くので全体としては結構豪華です。
ベニバナイチヤクソウは紅花一薬草と書き、薬草として使われた様です。元々は一薬草と言う薬草が
一つでいろいろな効能があったからと言われます。ベニバナイチヤクソウも利尿と脚気に効果があるとされ
ます。
その姿も花の色や名前も趣がある花です。
笠の部分の桃色が目に優しく映ります
オドリコソウはシソ科の花としては大きな花です。一般にシソ科の花はシソの花のように小さい花が集
まっているような感じが多いのですが、この花は一つ一つの花が大きめなので花の数としては少ないの
ですが優しい桃色が映え、全体としては目立つ花です。
オドリコソウはカタカナで見ていると無味乾燥な感じを受けますが漢字で書いて見ると、「踊り子草」
となり優美で楽しい感じが伝わってきます。
ずいぶんしゃれた名前なので、最近つけられた名前かと思いましたが、思ったより前からつけられてい
たようで、江戸時代の正徳二年(1712年)発行の「和漢三才図絵」に載っていました。名前をつけた理
由として「人、笠(かさ)を着て踊るに似たる」とあります。その当時の踊りは笠をかぶって踊っていた
のでしょう。
そう言えば現代でも昔から続いている佐渡おけさ、阿波踊りやおわら風の盆での踊りでは笠をかぶって
いるので踊りの感じは何となく分かります。
笠をかぶって踊る姿ならこの花の名前に納得です。現代の植物専門家だったら絶対につけない様な風流
な名前であり、昔の人の命名センスの良さには感心してしまいます。
他の草に埋もれるような感じで咲いていました
植物の中でランの仲間とキクの仲間は最も進化した群だとよく言われます。
進化の意味はその使い方によりいろいろですが、植物の場合は機能的に優れると言う事もあるのですが、
他に系統の分化が新しい、仲間が多く種として繁栄している事を意味する事もあるようです。同じ様に
進化したランとキクですが、現状及び今後の行く末はランの方が不利のようです。
環境の事もあるのですが、それより影響の大きいのは人間による盗掘で、今でも被害に遭っていて今後
も心配の種はつきないと言われています。ランにとって想定外だったのは環境適応より人間が敵に(一
部の不心得者ですが)なったことでしょう。特に美しかったり変わったものは被害が大きいようです。
ただランの中には地味なものもあります。このアオチドリも目立たなくて普通に歩いているだけだと多
分見つからないと思います。それが幸いしてかランでは騒がれていない部類に入ります。
アオチドリの多くはこの花のようにえび茶色なのですが、中には緑色の花があり、それを指してアオを
付けたと言われます。最初にたまたま見つけたのがアオだったのでしょうか?
綺麗、地味に関わらず、見つけてもそのままにしてあげたいラン類です。
左がアリアケスミレで右がアケボノスミレです
アリアケスミレは平地から山の中腹まで見られます。アリアケは有明の空に因んで付けられたと言いま
すが、有明は元々月がまだあってこれから夜明けになる時分を指したと言います。
なので特にどんな色という定義は無いようです。いずれにしても、夜明けあたりのイメージで紅色付近
の色があると思います。アリアケスミレはその紅紫色の線状が目立ちます。
似た言葉に曙(あけぼの)があるのですが、これは色の様子も含むので曙色という色の名前もあるそう
です。清少納言が枕草子の冒頭に「春はあけぼの」という文を持って来たのは幻想的な色が頭にあった
のかもしれません。
実はスミレにアケボノスミレというものも存在します。アリアケスミレよりずっと紅が濃く、よりピンク
に近い色に感じます。枕草子の中ではスミレとツボスミレしか登場しないので、清少納言はアケボノスミレ
もアリアケスミレも見ていないのだと思います。もし見ていたら必ず枕草子に書いたと思いますが、どん
な風に表現したのでしょうね?
関東管領が去った後の上野国を南の北条氏康、北の上杉政虎(後の謙信)、西の武田信玄が関東
管領が去った後の上野国を南の北条氏康、北の上杉政虎(後の謙信)、西の武田信玄が虎視耽耽と
狙っていた。このような中、物語の主人公となる両毛地区の新田金山の城主(由良氏)、足利の
城主(長尾氏)、館林の勢、小俣の城主(渋川氏)、佐野の城主(佐野氏)の五人の領主は誰の旗下
にも入らなかった。
北条氏や武田氏は武州、西上州まで進出したが両毛地区までは攻めて来ず、最初に動いたのが上杉政虎
で、三国峠を越えて上野国に入り前橋や武州松山を乗っ取った。この勢いで新田・桐生・館林を攻め
ようとしてまず北条方の那波、伊勢崎に押し寄せたが、皆逃げ散って誰もいなかった。
その後、新田などの攻めの沙汰はなくなり上杉軍は東上州の境界巡視のため佐野犬伏へ馬を進めたという。
※実際は那波城主の那波宗俊が上杉軍と戦い完敗している
写真は那波城址の碑、学校脇の田んぼの畦に寂しそうにポツン渡立っている。
ランはキクと共に植物の中で最も進化したものだと言われます。進化の意味には最も進んだと言う意味
と最も繁栄したと言う意味があるそうです。キクの仲間はよく見られるのでそう言う気もしますが、
ランの仲間は自然の中で自生しているものはあまり見かけません。
進化した姿が人の目に美しかったり珍しい形だったりしたからか乱獲に会い、加えて環境変化の影響も
あり、激減して多くが絶滅危惧種になっています。オノエランは幸いに絶滅危惧種にはなっていません
が、どこでも見られると言うわけではありません。オノエは尾上と書き、山の上を指します。山の上の
方に咲くからなのでしょう。これも実際に山頂で咲いていました。
咲き始めはうつむいているので、白い花にしか見えませんが、花の中に黄色の模様があります。日本の
固有種と言われるので日本にしかない花です。大切にしてあげたいですね。
戦国期の軍記物語の中に地元(両毛地区)を対象とした『新田老談記』というものがある。
これは江戸中期に幕府の貧乏旗本となってしまった新田氏(由良氏)の末裔が“御先祖様は
すごかった”という事を誇示するために作成したもので、信ぴょう性には疑問があるが地元
領主たちがいかに戦国期を生き抜いたかを知る上で大変興味をそそるものとなっている。
ということで、領主たちが生きた現場を訪ね歩くこととした。
物語の冒頭、以前は関東八ヶ国は管領上杉憲政の支配で、皆仁義を守り目上を敬い良い時代
であったが、北条氏政が管領に背いたため憲政が越後に退かれ、今は皆思い思いの大名(北
条氏政、上杉謙信、武田信玄など)に奉公するようになった、と嘆く場面から始まっている。
写真は関東管領・上杉憲政が北条氏康に追われるまで拠点としていた平井城址。憲政以降は
放置されていたため今では痕跡は少なく、近年一部を公園に改修した際に再構築した土塁が
出迎えてくれた。
タツナミソウはシソ科の小さな花です。葉も小さいですが、シソ科らしい葉をしています。タツナミ
ソウは漢字で書くと「立浪草」となります。花が波のように見えるからだとか言われていますが、
「浪」は海より川に多く使われるそうなので、川のせせらぎで小さな石などで砕けたときの浪のイメー
ジが近いのでしょうか?
平地では春の花ですが、山では夏の花になります。トウゴクというのは東国で西日本に対しての東日本
の…と言う表現です。西日本にはシソバタツナミと言うものがあるそうですが、まだ見ていません。
違いはわずかと言いますが、一度この目で違いを確認したいものです。